青春リアルとはなにか? 〜NHKのフェアネスについての一考察〜

久々にヒトリノ夜なので、HDDに入っている、古い番組を見た。

 

それは、ETVでやってた、青春リアル

 

ほとんどの方は知らないと思うが、これは実際に会うことはない10代から20代後半の若者9人が、ネット上の掲示板で集い、それぞれがトピックを出し合って議論(あるいはおしゃべり)をする番組である。

 

今は、立て続けに3本みた。

 

1.「外資系に勤めていることは、日本への『裏切り』になりますか?」

 

2.「私はなぜ、毎日コンビニに行ってしまうのだろう?」

 

3.「ぼくはどうして大学に友達がいないんだろう?」

 

というもの。

 

1はおそらくGoogle社員であろう男性ので、

2はおそらく山崎製パン社員であろう女性の悩みで、

3は、おそらく神奈川大学あたりの学生であろう男性の悩みである。

 

なぜそれがわかるかというと、VTRで、それとわかるロゴや商品が、ぼかされているわけでもなく、自然に写り込んでいるからである。

 

ここに、NHKの公平性、公共性が、ある。

 

民放ではこの明白性は決して、実現することはできない。

 

伊藤園が提供している番組の出演者が十六茶を飲むとき、必ずボカすだろう、間違いなく。

 

あるいはその逆は寧ろ励行するだろう。

例えば、番組内で自然に(時に不自然に)商品を登場させるプロダクト・プレースメントは、日常茶飯事に違いない。

(映画『たいようのうた』では、露骨なまでにポカリスエットの自販機が、YUIと塚本さんの隣に立っていた。)

 

そう考えると、民放は時に「洗脳的」とも考えられないだろうか?

 

やはり価値あるもの、本当に欲しい情報、あるいは楽しめ、かつ後世にもお勧めしたいもの、コンテンツというのは、こちらから主体的に「身銭を切って」いかないと得らことができないのだな、と、青春リアルという番組を見て思ったのだ。

 

 

フェアネス(公平・公正)とは何か

フェアネス(公平・公正)とは何か

 

 

 

 

ワニラーメンとは何か?

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先日、愛知県犬山市にあるリトルワールドにて、ワニの肉とダシを使ったラーメンを食した。

 

それが上である。

 

味は………

 

………

 

………まぁ、んまい。

 

肉は鶏肉のようで、スープもさっぱりとしていた。

 

ただ、スープはさすがにややクセがあるきがした。

 

750円。

 

(…多分二度と食べないだろう。、。うん。。。)

 

 

リトルワールド全体は、素敵なところだったが、やや全体的に古びていて、正直、昭和の時代から全く変わってない、と仮に聞いても納得いくかんじではあった。

 

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「国破れて山河あり」とは何か?

最近、内田樹師匠が出演しているラジオを聴く機会があり、そこで「街場の憂国論」の話をしていた。

 

憂国

 

内田氏が言うには、国家の舵取りをしている人間は上位1パーセントの富裕層で、

その層は海外に人脈や別荘を持ったりと、非常に機動性が高く、最悪この日本が潰れても生きていける、と言う人たちであり、

そんな人たちが、のこり99パーセントの、日本の地に根付いて、日本語を話し、日本人と交流し、つまり日本でしか生きられない人々を支配していることは、これおかしいことであり、

これは国家解体の危機とまで言い切っている。

 

しかし、そんな上位1パーセントの人々も、のこり99パーセントの人たちが作る農作物、つまり衣食住がなければ生きてはいけない。

そのため、記号的な生き方をしている(株価、人件費、粗利などを常に意識している)1パーセントの人々も、最終的には日本の大地に根ざした99パーセントの人たちが作るものに依存せざるを得ず、

またその日本の大地に根ざした人たちこそが、歴史上新たな文化ーーー鎌倉仏教や歌舞伎などーーーを作り出していった、という。

 

そのような話をするなかで、内田氏はぽろっと

 

「国破れて山河あり」といった。

 

そう、杜甫の春望である。

 

私はこの詩が大好きで、暗唱してるので、いかに書き記す。

 

 

春望  杜甫

 

国破れて山河あり

 

城春にして草木深し

 

時に感じては花にも涙を注ぎ

 

別れを恨みては鳥にも心を脅かす

 

烽火 三月を連なり

 

家書、万金にあたる

 

白頭書けばさらに短く

 

すべて針にたえざらんとほっす

 

 

内田氏はぽろっと「国破れて山河あり」といったのは、国是として経済発展をかかげ、実際めざましき経済成長している国は、リビアシエラレオネなどといった、内戦明けの国であるのだ、

という文脈の中でのべ、経済発展を目指すところは国は破れるところにあるよ、ということをいっているのだ。

しかし「国破れて山河あり」なので、最終的には99パーセントの人たちがそれを拠り所としている山河が、強い、ということだ。

 

さて、この春望。話は変わるが、私はこの詩のいいところは、最後の4文にあると考えている。

 

つまり、

 

烽火、三月を連なり

家書 万金にあたる

ということで、戦争はずっと続いて、家からの便りもこない。だから以前に来た便りこそが、今のひどい状況を慰めてくれる唯一のものだ、

と、強いメッセージをのこしておきながら、最後、

 

白頭かけばさらに短く

すべて針にたえざらんとほっす

と、自分の髪のなさをなげく、という、割とどうでもいいこと、くだらないことをのべ、

 

見事な対比を成していることが、いい、と。

 

………古典から学ぶことは多い。

 

 

街場の憂国論 (犀の教室)

街場の憂国論 (犀の教室)

 

 

 

まさかのチゲ

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サービスエリアやパーキングエリアに寄ることが大好きで、今日も寄ったのだが、23時を回っていたので、店は行けなかった。

 

そのため、数ある自販機を物色(?)していたら、興味深い飲み物が。

 

チゲ。

 

まさかの。

 

「飲み物」とあるが、スープだろう。

 

ちょうどあったかいものを飲みたかったので、買って飲んでみた。

 

…んまい。

 

まさに豆腐チゲ鍋のスープを飲んでいるかのような。

 

ただしかし、満たさなくてもいい小腹が満たされてしまった。

 

そのため、なんだかもやもやしながら、家に帰る道中のローソンへ。

 

そしたら駐車場にパトカーが止まっていた。

 

おまわりさんも休憩中か? と思いきや、テーブルで少年に色々質問してた。

 

おそらく万引きでもしたのだろうか。

 

それにしても、おまわりさんの顔(つき)は、みんな同じに見えるなぁ。

 

職業柄かな。

 

そういう職業をしてるからそういう顔つきになるのか、元々そういう顔つきをしているから、おまわりさんになれたのか。

 

はてさて。

 

モスバーガーとは何か?

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…うまい。

 

私はスパイシーモスチーズバーガーが大好きで、それに必ずオニポテセットでクラムチャウダーを頼む。

 

なんというか、モスバーガーは雰囲気が好きだ。

 

学生時代にモスバーガーで6年間アルバイトをしてきたが、今でもやはり特に好きなファストフード店だ。

 

ただ、モスバーガーは「和」の要素が高く、またアフター・オーダーである故、ファストフードというより、スローフードといったほうが正しいかもしれない。

 

古き良き時よ、classic。

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愛知県の知多半島のとあるPAに、こんなスタンドが。

 

古き良き時代を感じる。

 

(買わなかったけど)

座右の銘とは何か?

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座右の銘

 

何だか死語的なものとなりつつあるけれど、今でも何らかのプロフィールで書くことがある(と思う)。

 

今だと、LINEやTwitterの自己紹介欄で見られる。

 

例えば、「とびきり素敵な笑顔で!」であるとか、「頭おかしい方が人生楽しい。」などと自己紹介欄に書いている人がいる。

 

それはオピニオンであり、座右の銘なのだろう。

 

私にも座右の銘があるが、ちょっと長い。

 

それは、フランツ・カフカが友人に宛てた手紙の一節だ。

 

僕は、自分を噛んだり刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。
もし僕らの読む本が、頭をガツンと一撃して、僕らを目覚めさせてくれないなら、一体なんのために僕らは本を読むのか?
君が言うように、僕らを幸福にするためか?
やれやれ、本なんかなくたって僕らは同じように幸福でいられるだろうし、僕らを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう?
いいかい、必要な本とは、
自分をこの上なく苦しめ、痛めつける不幸のように、
自分よりも愛していた人の死のように、
全ての人から引き離され、森の中へ追放された時のように、
自殺のように、
僕らに作用する本のことだ。
本とは、僕らの内なる氷結した海を砕く斧でなければならない。

 

なぜこれを座右の銘としているかというと、このカフカの言葉の中には、以下のような強い想いが隠れていると思うからだ。

 

「人生の時間は限られている。自分にとって価値にならない、無益な本など読んでいる場合ではないよ。

だから自分を鼓舞し、突き刺し、「こ、、これは……ッッッ!!!!」と思い、自分の思想や行動を本当に変化させるような本を読んでこそ人生はもっともっと波打ち活発になるのだから、それ以外は全て掃いて捨てるべきものだ。」

 

と。

 

言い換えると、

 

「あるモノについての、周りの評価など関係ない。『自分が』強くそれに呼応するかどうかだ。それらを選び取り、日々の生活に活かしていってこそ、「私」が「私」として生きて行く意味があるのではないか。」

 

というのではないかと私は解釈した。

 

このカフカの言説、思想については私は満腔の同意を与えざるを得ない。

 

世の中に無数存在するモノ、作品たちの中で、

先駆的な、

ア・プリオリ的な、

「なんか、、なんとなく、、惹かれるんだよなぁ…」的な、

「これだっ!!! ビビっときたーーーーー!!!!」

 

的なものだけ(「だけ」となるのは難しいが)を選び抜いて生きて行くことこそが、「この私」(Moi)の生に活動性、唯一性をもたらすと、大学時代から約10年間、内田樹氏、エマニュエル・レヴィナスの文献を耽読してきた経験から、そう思えてならないからだ。

 

また、そのように内容面からこのカフカの言葉を選んだ、というのもあるが、この長さも好きだ。

こんな長い言葉を座右の銘としている人はまずいないだろう。

 

「…俺と同じことを考えてるやつはこの世界にまずいないだろう…しめしめ…( ̄+ー ̄)」

 

というのが、私は大好きなのである。

 

人と違う財布、クルマ、時計、カバン、などなど。

 

『そこ』に、唯一性があると思うから。