そもそも「意識高い系」とは何か?

 


女子受け最悪!意識高い系男の「自分への投資」的フレーズ | 日刊SPA!http://nikkan-spa.jp/768988

 

 

「意識高い系」という言葉がある。

 
ここ5年ほどで言われている言葉だが、この言葉にはどうも否定的意味が常について離れないイメージがある。
 
厳密に言うと、「意識高い系」と、「意識高い系w」という、二つのフェーズが存在するらしい。
この場合だと、前者は比較的いい意味で用いられている言葉だ。つまり高い目標を持って自己研鑽や社会活動などに取り組んでいる人たちのことを指す。つまり有言実行な人々のことだろう。
一方後者は、聞こえのいい言葉、綺麗事、高い目標宣言は言うだけ言って、実際のところ結果が伴わない状況、いやむしろ全く行動に移してすらない人のことを指すかと思われる。いわば有言不実行な人々のことだろう。
この、どちらともに共通することは「周囲に自己を開示している」という点であろう。これはともすれば自己愛が強いとも言えるかもしれない。
日本においてこういった人々が往々にして嫌われる要因はこの点に尽くされようかと思う。つまり自己意識が高い、ということだ。
元来、日本という国は「言わないこと」「主張しないこと」を「美」としてきた。それはわび、さび、趣、あはれ、などといった、日本独自の文化慣習が底流しているからであろう。
その点において、現代、日本が資本主義経済国家となり、経済大国として世界第3位(参照サイト→http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html)という位置にまでなっても、その文化慣習は決して廃れてはいない。
ゆえに、「主張する」意識高い系という存在は、日本においては特にバッシングを喰らう対象となりがちなのではないだろうか。
しかし、「有言実行」「有言不実行」「不言実行」、そして「不言不実行」の四つを引き比べてみて、どれが果たして最も良くないかというと、私は「不言不実行」ではないかと思う。
「有言不実行」と「不言不実行」は、良くないという意味ではいい勝負かもしれないが、後者は最初から最後まで完全に内的な自己にとどまってあるという点において、最も良くないと思われる。
一方前者は行動、実行しない、あるいは結果が伴わないという点だけを見ると、確かに残念で情けないといえるかもしれない。
しかし前者が後者よりいいと言えるのは、「言うこと」によって他者たちを刺激し、奮い立たせ、行動を喚起し、影響力を発揮しているかもしれない、という点なのだ。
悪く言えば「アジテーター」「ホラ吹き」と言えるかもしれない。しかし、言葉の力、いや、言葉の現実変成能力というのは、これ凄まじいものであると、私は思うのだ。
ゆえに、「有言不実行」、つまり「意識高い系w」は、必ずしも良くないとは言えず、彼らを安易に値踏みしてはいけないと思うのだ。
そして、自身が「意識高い系(w)」側である場合だったとしても、他者からのバッシング、嘲笑、その他諸々の否定的言説などものともせず、自分自身を信じ続けていけば。それは全く問題ないどころか、それこそがある意味最高の状況とも言えるかもしれない。
藍坊主の「春風」という歌詞の中にこういったフレーズがある。
 
 
一生懸命やったのに 誰一人認めてくれない

それでも僕は僕が好きだとハッキリ言える
だったらそれで十分だろう いや違う最高なんだよ
自分で認める努力だけは裏切らないから」

 

(参照サイト→ http://j-lyric.net/artist/a043098/l0086a0.html

 
 
このフレーズで言われているように、最も大事なことは自分で自分を認めることなのだ。なぜなら自分とは「世界」のはじまりで、また自分であって他者でもある。という、なんとも複雑な存在だからだ。
意識高い系とは何か、という話をしていたところだった。
ところでこの「意識」にもまた質的差異があろう。
思うに、この「意識」が、他者に開かれていればいるほど、それが有言不実行であったとしても、時に「良い」(善い)といえるかもしれない。それは例えば「危機意識」や「問題意識」の類だろう。それらが社会の諸問題、例えば原発、震災、労働問題、いじめの問題等、意識が他に開かれていればいるほど、それは「良い」(善い)ものといえるかもしれない。