お酒か、お茶か、あるいはどちらもか。

昨日、飲み会について書いたが、小田嶋隆が以前こんなことをいっていたことを思い出した。
酒はバカな人とも飲めるけど、お茶はバカな人とは飲めないんですよ。30分も会話がもたないでしょう?

誠に至言であると思う。

お酒は気分を高揚させるが、一方お茶は気分を落ち着けさせるものである。

お酒は、あらゆることの赤裸々トークができる現場を創出するものだけど、お茶はそういう現場づくりはできず、むしろけっこう真剣な場をつくるものである。

ざっくり言い直すと、酒の場では特に気を使う必要はなく、お茶の場では気をけっこう使う必要がある。

小田嶋隆氏の言葉に戻る。

ここで小田嶋氏が「バカ」をどういう意味で使っているかがわからないけど、ここは養老孟司の「バカの壁」を参考にして、「バカ=話の通じない人」であると定義しようと思う。

そうなると、フワフワした場をつくるお酒は、とにかく適当な話をしていればいい、つまりコンテンツでなくメタ・メッセージのやりとりだけをしていればいいので、話の通じない人とも飲めるけど、真剣な場を醸成するお茶は、メタ・メッセージのレヴェルを飛び越えて、コンテンツの、そしてそれは建設的な、本質的なやりとりをしなければならないため、話の通じない人とは飲めないことになる。

こう考えてくると、例えば友達を選ぶ際に、「この人は酒だけか、お茶だけか、もしくはどちらともいけるか」を、付き合いをしていくなかで判断していくことも、友達選びの際に重要になったりするかもしれない。

おそらく理想は、お酒もお茶も、どっちもいけるような人が、本当の友達、となれるのではないかと思う。