誕生日と金儲け 〜石田禮助を偲ぶ〜

「プレゼント」にみる人間の獣性、或いは人間性

 先日誕生日であり、遠くに住んでいる友人からこのようなものが送られてきた。

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 愕然とする他なかった。

 いやしかし、常に眠い私としては、非常にありがたきプレゼントであるな、と思い直した。

 このメガシャキを送ってきた友人の誕生日も最近であり、私はその際にモンスターを送った。

 

 これである。

 24本入りのものを送った故、30本のメガシャキを送ってきたということ、これはカウンター以外の何者でもあるまい。

 カウンターどころか、本数としては更に6本多いので、倍返しをされたような気分である。

 「やられたらやりかえす。倍返しだ!!!!」

 これを悪い意味に取れば人間の獣性があらわになる瞬間であるが、良い方に取れば、人間の人間性をかいま見れる瞬間である。

 本数として6本多く送られたとき、私は彼の人間性に敬服せざるをえなかった。

 大事に飲もう。

 

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助、その茶目っ気

 誕生日といえば、昨日2月20日は石田禮助の誕生日であった。

 石田禮助

 三井物産に35年間在籍し、齢78にして国鉄総裁になった男。

「ヤング・ソルジャー」の異名を持つ男だ。

 とは言ってもこれは記者から、石田の年齢について言及された際に答えた言葉である。

「体に自信はある。気持ちはヤング・ソルジャーだ」

「鬼軍曹か」という声が入ると、すかさず、

「いや、心はウォーム・ハートじゃよ」

城山三郎『「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯』文春文庫 p20)

 

 この切り返しがいい。

 ここであえて「ウォーム・ハート」とカタカナ語を挿入するところに、石田のユーモア性を感じざるを得ない。

 ユーモア性。

 言い換えれば、茶目っ気ともいえるだろう。

 このやり取りを読み、人前に出るような人、あるいは要職につくような人は茶目っ気が必要なのではないか、と、ひとつの学びを得た。

 単なる有能ではいけない。「急」だけではいけない。

 そこには「緩」という茶目っ気、ユーモア性が入ることによって、初めて信用、信頼が生じるのではないか。

 つまり、ロゴス(論理)だけではダメであり、そこにパトス(情念)がはいり、それらが相互浸透して初めて信用、信頼が生まれ、仕事がうまく運んでいくことになるのではないか、と思われた。

 

石田禮助の金銭思考

 先に引用した本に、以下のような一節がある。

出世や金儲けだけではない世界───

抜群の成績を上げた石田だが、

「いったいこんな金儲けの仕事ばかりしていて、自分が死んだあとどうなるのか。あるいは地獄行きかもしれぬなどと、ときどき考えたね」

日本の人口問題、食糧問題解決のためには、とにかく外貨が要る。そのための金儲けだと、自らを慰めもしたが。

(Ibid., p84) 

  ここに石田の聖性を感じざるを得ない。

 「金儲けは悪いことですか・・・?」

 と語った「もの言う株主」もいたが、個人的には金儲けそれ自体は悪いことではないと考える。

 金儲けによって自己ばかりか、家族、所属企業、取引先、顧客などのステイクホルダーを、そして社会全体をも結果的に潤すことができるのであるから。

 金儲けが悪いのではない。

 一種の金遣いが悪い、と思う。

 つまり帰責点は金ではなく、人間の「性」にあるのではないか、と私は思う。

 脱線した。

 石田のこの金銭に対する思考、その聖性、それは或いはひとつの制御的思考である。

 自己の獣性があらわになることを人間性の側から牽制、制御をする思考である。

 ここに、石田の聖性がある。

 聖性というと行き過ぎた表現かもしれない。紳士性と言い直そう。

 この紳士性は、現代ではMr.Children桜井和寿氏に見られる性質である。

 以前桜井氏のWikipediaに、確かこんなことが書いてあった。

 

「お金を儲けることに罪悪感を感じている。」

 

 今さっき桜井氏のWikipediaを見たら、この記述は消えていたが、確実に上のような記述があったことを記憶している。あまりにもその記述に衝撃を受けたから。

 これも、「やりたいことを、やる」というような、イケイケドンドン的獣性を自戒し、紳士的に粛々と、「やるべきことを、やる」という、桜井氏の信念からくる言葉ではあるまいか。

 彼らの制御的思考、或いは紳士性───

 学ぶことは多い。

「まだまだ自分は勉強が足りないな・・・」と思い知ること。

 ここに人間として生まれてきたことの本当の甲斐があるのではないだろうか。