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草食系男子社会学 〜ユビキタスアダルティー社会と、アイ・メディア社会の到来〜

「男は狼」なのか?

 昔、恐らく90年代後半だったかと思うが、NHK教育で、夜6時から「アリス探偵局」というアニメがあった。

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 そうだ、これである。
 このアニメのオープニングで、

「男は狼なのよ、気をつけなさい」

 と歌う歌詞がある。
 それと付随して、冒頭でキャラクターたちが右から左へ、なんだか慌ただしく駆け抜けていく像が、思い出される。
 それにしても、この歌詞は一体どういう意味か?
 なぜ、男は狼なのか?
 男は女を見つけ次第、すぐ「食べて」しまうからであろうか?
 いや、そんなバカな。
 昔(80.90年代?)は、今よりもいわゆる「肉食系男子」が大多数だったから、「男は狼なのよ」と言えた(歌えた)のだろうか。
 現代、このような歌詞をつけて歌を歌ったら、あまり共感は得られないだろう。今はいわゆる「草食系男子」が、20代男子のなかで約半数を占めているようだ(以前のNewsで、彼女いない歴=年齢の20代男性は、約41%と聞いたことがある)
 この要因はなんだろうか。
 なぜ、4割も「男は狼」ではなくなったのか?

ユビキタスアダルティー社会の到来

この要因は、先ず1つには

ネットの発達により「性」なる商品へ簡易にアクセス可能となった

ことにあるかと思う。

 80.90年代は、「性」なる商品へのアクセスを試みるには、本屋さんやビデオ屋さんで「男気」を出すか、あるいはお金を出すかしないといけなかった。

 しかし現代は、ネット環境が整っていれば、ある意味ほぼ無料で、いつでも、またどこででも(?)、簡単に「性」なる商品にアクセス可能となり、いわば「ユビキタスアダルティー社会」ともいえよう。
ユビキタスアダルティー社会」とは、私(アルテマ)の造語であるが、このような社会においては、「性」がいつでもどこででもと手軽に(ユビキタスに)なりすぎてしまったゆえに、「男気」、あるいはお金を出さずとも自己の性的衝動を平定できてしまう社会のことだ。
 そうして「男は狼」にならず、「ヴァーチャルなカノジョ」を手中に収めてしまえ、「現実のカノジョ(あの子)」には男気を出す機会がますます減少し、結果として少子化、国力の低下、という国家レベルの問題となっていることが現状であろう。
 ずいぶん鳥瞰的な、偉そうなことを申し上げてしまったが、この私(アルテマ)も例外ではないゆえに責任がある。
 ともかくも私は友人たちに「出会い」を提案し続けたいと思う(迷惑でなければ)。
 私自身も、今気になっている女性がいるため、今後とも紳士的に、男気のあるコミュニケーションを「カノジョ(あの子)」と交わしていければ、と思う所存である。

恥の文化、本領を発揮   〜アイ・メディア社会の到来〜

 私事を書き連ねてしまい、大変恐縮である。
 なぜ、4割も「男は狼」ではなくなったのか、の考察を続ける。
 この2つめの要因として、
 SNSの発達
 ではないかと思う。
 1つ目の要因とやや重複してしまい、全くMECE(モレなく、ダブりなく)でないことにお許しいただきたい。
 SNSの発達により、我々の行動、言動は、時として直ちに「祭り上げられ」る恐れがある。
 つまり、従来よりもメディアが細分化し、法人だけでなく、一個人もメディアとなることが可能な社会が到来したのである。これはいわゆる「アイ・メディア社会」の到来である。
 これも「ユビキタスアダルティー社会」と同様、私(アルテマ)の造語であるが、つまり"I = media"な社会ということだ。
 それゆえにまた、拡散、伝達スピードも速く、また「些細な」モノでもNewsとなりえる社会の到来である。
 そのようなアイ・メディア社会において、また情報は共有され続け、本来どうでもよい、流されるべきなような情報も、永久にストックされうるのだ。
 つまり、自分の「恥ずかしい」行動(好きな子にふられたなど)という、多くの他者にとっては「どうでもよい」ものが、時として永久にストックされてしまう可能性があるのだ。
 つまり、日本独特の「恥の文化」が、SNSの発達、つまりアイ・メディア社会の到来によって、それはますます意識されざるを得なくなってしまった。
 このようなアイ・メディア社会ゆえに、「男気」は敢えて抑えて、傷のつかない、受動的な、「向こうから声かけられたら行く」というような男性が多くなってしまったのではないだろうか。