挨拶とは何か? 〜漫画なアヒルとガールズちゃんねるを基にした一つの自己啓発的考察〜

学ぶこと=温故知新

 今朝、読売新聞を読んでいたら、挨拶や礼儀などの、人間的所作に関する子ども向けの絵本の広告を発見した。

 この本では、主人公こそ人間だが、その他のキャラクターはどうやら動物らしい。
 キャラクターを動物にすること、それはつまり鳥獣戯画化するということである。
 鳥獣戯画とは、12〜13世紀頃書かれた絵巻物であり、現存する最古のマンガとも言われる。
 ここで、絵本の登場人物を動物主体にすることで子どもの興味を惹くとは、まさに鳥獣戯画という過去の遺産からの「学び」がそこに垣間見られたのだった。
 そしてやはり学びとは温故知新に他ならない、と、思わされたのが、以下の画像の、アヒル(?)のグラフィックと、その台詞である。
 
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 このアヒルは、グラフィックで判断してしまい恐縮であるが、おそらくひねくれ者という設定だろう。
 なぜなら、眼が上弦の月というか、下半月状になっているというか、サンリオで言うところのばつ丸見たいな目をしているからだ。

 そんなキャラが、

「あいさつっていいね・・・(ポッ)」

 と、照れくさそうにつぶやいているのである。

 これはつまり、ツンデレという、現代人から高いポピュラリティーを獲得している振る舞いをアヒルにさせているのである。

 私がこのアヒルに「ぐっ」と引きつけられたのは、それが鳥獣戯画の要素とツンデレの要素を兼ね備えているという、過去の遺産と現代の賞賛対象をうまくブレンドさせているというところ、つまり温故知新の精神を、このアヒルをデザインした作家に見て取れたからである。

 

「挨拶が苦手です。」

 それにしてもこのアヒルはツンデレという訳(前提)だが、そうなるとこのアヒルは挨拶が苦手、あるいは嫌いであるということになる。

 挨拶が苦手。

 そういえば以前のガールズちゃんねるに以下のようなトピックがあった。

 

「挨拶」が苦手な人 | ガールズちゃんねる - Girls Channel -

 

 このトピックは結構以前のものであるが、

「挨拶が苦手な人って結構いるんだな・・・」

 と、ややショックを受けた。

 ただしかし、読んでいくと「挨拶という行為そのもの」が苦手、というより、「挨拶をしなければならないような隣人、上司、利害関係者」が苦手、ということが分かった。

 心理学者アルフレッド・アドラーは、

「全ての悩みは人間関係についての悩みである」

 と語ったが、正にこのトピックについても、挨拶それ自体ではなく、挨拶をする相手に問題を転換すべきだ、ということが分かる。

 ちなみに、先のアドラーの引用は、ベストセラー『嫌われる勇気』に書いてあることである。

 

 私自身もこれを読んだが、正直申し上げて、あまり覚えている内容はない。。

 ただ、

「重要なことは、過去でも未来でもなく、『今、このとき、何をすべきか』が大事」

 という文言(こんな文言じゃなかったかもしれないが、大体こんな趣旨)が、大変印象に残っている。

 相田みつをの書に、

「いま、ここ」

 というものがあるが、アドラー相田みつをも全く同じことをいっていることが分かる。 

挨拶とは何か

 ずいぶん脱線した。

 ここまで書いておいて、挨拶それ自体について全く考察していなかった。

 挨拶。

 挨拶とは何か。

 起源は、自分が武器を持っていないことを照明するために、帽子をとったり、握手をしたり、というところであろうが、これは飽くまで日本以外の国での起源だろう。

 日本は、挨拶には会釈がともなう。

 会釈。

 これは「自分はあなたの敵ではないですよ」という表現では決してないと思う。

 これは「自分はあなたを主君と(仮に)し、なにか自分にできることがあればやりますよ」という、相手を尊重し、自己をへりくだらせる挨拶である。

 つまり、「自分はあなたの味方」という挨拶が日本以外の国のものであり*1、「私はあなたに仕える」という挨拶の仕方が日本の挨拶なのである。

 この日本独特の挨拶の仕方が、一部の人にとって「不愉快」に思えるのかもしれない。

 ただ、個人的には「いい」ものというか、いい文化だな、と思う。

 頭を垂れることによって、自分が傲慢にならず、謙虚な姿勢を標準とさせ得る。

 そうして日本という国は、道端に堂々と自販機を置いたり、カフェやレストランで荷物を置いて一旦席を離れたとしても、まず盗まれたりすることがない、という、世界でもまれに見る平和国家を実現したのである(と思う)。

 つまり、日本的挨拶は、孟子における性善説を体現させているものといえよう。

 

 挨拶とは、国家の性格というか、国家の治安にまで影響を及ぼすものである、と、言うことが分かった。

 こう考えると、やはり文化と国家は切っても切りはなせないものであり、昨今のグローバリズムの推進は、ときとして文化の衰退させてしまうことにもなりかねないのでは、などと思われた。

*1:おそらく日本と同質な挨拶をする国もあろうが、私(アルテマ)の知識不足のため、ここでは例外が存在しないことを前提で論を進めている。