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エラン・ヴィタールと仙台市中 ──勝海舟の師の言葉を参考に

エラン・ヴィタールとは何か?

 リハビリも兼ねて、今日は市内の銀行(みずほ)→本屋(丸善)→喫茶店(ヴェローチェ)と、てくてく歩き回った。

 まず家から銀行まで、通常は歩いて20分もかからないところが、全く本調子でない為、45分以上もかかった。
 中途、3歳くらいの女の子にダッシュで抜かれたりして、
「あぁ、これこそがエラン・ヴィタール(生の躍動。仏哲学者、H・ベルクソン(1859〜1941)の用語)ではあるまいか、、、。」
 と、思わずにはいられなかった。
 つまり、身体を思うように動かし、アタマもカラダもウキウキしている状態。
 ベルクソンが言うところの本来の意味とは違うと思うが、私は彼女の動きを見て、それエラン・ヴィタールだと思わずにいられなかった。
 一方、私は亀よりも遅いスピードで歩く。
 もちろん、本意ではない。
 やれやれ。
 辛抱、辛抱ですね。
 

仙台市中の「面白い」看板

 さて、いろいろうろついていたら、なかなか身体の調子も、また元気も出て来て、ヴェローチェを出る頃には本来の7.8割は復活していた。
 リハビリも兼ねた散歩であったのと、本屋と喫茶店にいくという、私が最も好きな行動が取れた、ということが良かったのだと思う。
 それにもともと市中をぶらつくことが好きだ、というのもある。
 そういえば昨日引用した勝海舟の「氷川清話」に、こんなことが書いてある。
おれが長崎にいた頃に、教師から教へられたことがある。それは「時間さへあらば、市中を散歩して、何事となく見覚えておけ、いつかは必ず用がある。兵学をする人は勿論、政事家にも、これは大切な事だ」と、かう教へられたのだ。*1
  実際勝海舟はこの教えを実践し、「維新前後に非常のためになつたのだ」と語る。
 この部分を読んだとき、なぜだか知らないが
「ビビっ」
 ときて、私自身も暇あらば実践している。
 そしたら、以下のような看板たちを見つけたのだ。
 
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 まずこの居酒屋の広告。
 大変衝撃を受けた。
 最近、居酒屋だけでなく、コンビニ呑み、あるいは日高屋呑み、さらには吉野家呑み、という呑みスタイルが台頭しつつあるが、このような持ち込み居酒屋を目撃したのは初めてだ。
 その上、やまやという酒屋とコラボレーションしている。
 新しい。
 ワインだけ、という縛りはあれど、このような「持ち込み居酒屋」という営業スタイルは斬新ではあるまいか。
 宅飲みのように、居酒屋で飲める時代が来る、ということの表れかもしれない。
 そうなってくると、最終的には
「居場所」
 ということがキー・ポイントとなってくるのだろう。
「居場所づくり」というと、いかにも意識高い系がいいそうなことだが(かくいう私もそうなのだが)、やはりこれからも様々なる、多様な在り方を呈する居場所を設けていくことが、より住みやすい(生きやすい・息苦しくない)社会を構築していく上で欠かせないことではないかと思われる。*2
 
 もうひとつ衝撃を受けた看板がある。
 
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「通塾し放題でありながら、料金定額制」。
 これもなんとも斬新な学習塾だろうか、と思った。
 普通はコマ数を増やせば比例して授業料も上がる。
 しかしここは定額制で通い放題なのである。
 これには正直、
「うわっ! 負けた…ッッッ!」
 と思った。
 私は4月から塾講師となるのだが、当社はこのようなスタイルはとっていない。
 正直申し上げて、学習塾業界は斜陽(衰退)産業である。
 ゆえに、資本と営業力(知名度)のある大きいところが生き残っていくか、新しいことを絶えずして行く塾が生き残っていく、という時代になってくるように、個人的には思っている。
 この櫻學舎という学習塾は今日初めて知ったのだが、こういうベンチャーなところは、くやしいかな、羨ましいかな、いや学ばなければならないかな、生き残っていくと思う。
 私自身はまずとりあえずのところは、与えられた仕事をきっちりこなし、できる限りプラスαまでやりたい(授業上の豆知識を生徒に話したりなど)が、新しいことを発言していけたら、と思う。
 
 うっかり意識高い系自分語りをしてしまい申し訳ない。
 それにしても、定額で通い放題となると、生徒・家族側としては元を取ろうとして頻繁に通うこととなるだろう。
 しかしそれは塾側にとっては負担になることもあるだろうが、生徒・家族側にとってはメリットしかない。
 「元を取ろうとして」という思想は、市場原理の賜物ともいえようが、それをこの学習塾は見事に活用している。
 普通、教育と資本主義は相容れないものと言われているが、これには完全に参った。 
 いやはや、まだまだ勉強が足りないな、、、。
 そう、思わざるを得ない看板だった。
 
 以上のことから、結論として、市中をぶらつくことは新しいことを吸収する上で非常に役に立つのではないか、と思われたのだ。
 
 

*1:勝海舟 江藤淳・松浦玲 編『氷川清話』p334 講談社学術文庫 2000年

*2:ここにものすごい論理の飛躍が見て取れるが、つまりこういうことである。人間は生きる上で「場所」が必要なのはいうまでもないが、もう少し踏み込んで「居場所」が必要だ、と私は考えている。居場所とはいうなれば「自分が自分らしくいられる場所」といえよう。居場所があればこそ、孤独死、自殺、虐待、いじめといった人間関係的社会問題を、すこしでも解決することができるのではないか、と考えている。