「ゆけ、金麦」とは何か? ──ある種のフレーズがもたらす全身感動についての第一考察

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 昨日、名古屋に越してきた。

 今日、名古屋という街を知るために電車に乗ってたら、金麦の広告が目に入った。

 以前から金麦の広告が好きで、電車で目にする度にまじまじと見ているのだが、今回はこれ名作であると直観した。

 上のグラフィック広告もいいのだが、その隣の文字の広告があまりにもよかったので、それを書き出す。

新しい街にやってきたあなた。真新しいシャツに袖を通したあなた。髪を切ったあなた。通勤電車になれないあなた。出会うあなた。不安なあなた。期待に胸ふくらませるあなた。笑うあなた。少し寂しくなるあなた。ふりかえるあなた。ふみだすあなた。走り出すあなた。 ゆけ、ぜんぶのあなた。ゆけ、『金麦』

 まず、「新しい街にやってきたあなた」に、『ぶるっ』ときた。

 この広告は先日までいた横浜では見なかったが、名古屋に来て初めて見た。

 そして、実際私は「新しい街にやってきた」。

 この「一致」に、ある種の天命を感じざるを得なかった。それゆえに感動してしまった。

 それ以上に「きた」のは、最後のところのフレーズ、「ゆけ、ぜんぶのあなた」。ここである。

 ぜんぶのあなた、というのは正直よくわからないのだけれど、このフレーズを読んで、不覚にもうるうると来そうになって危なかった。

 おそらく、最初のフレーズの「新しい街にやってきたあなた」のところに重なって、そこに「ぜんぶのあなた」という意味不明瞭なフレーズが来たことによって文学的感動が、いや全身感動(頭のてっぺんから足のつま先まで震えるような感動)を生じせしめたのであろう。

 さらに、「ゆけ」という日本語がこれ素晴らしい、と思い直した。

「いけ」ではない。「ゆけ」である。

 これはよく練られているな、と直観した。

 またさらに、「ゆ」というひらがな、いいな、と思った。

 なんだかうまくいえないのだが、ひらがなの中で最も、いい意味で日本的な言葉だな、と思った。大和言葉というか。

 それにしても、今回の広告をみて、言葉というのは本当に現実変成能力があるな、と再確認できた。

 紀貫之が、「力を入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」というくらい、その能力は凄まじいものであると。


追記。

 金麦の広告に出ている檀れいさんの設定は、風の噂によると、主人公(TV(広告)を見てる世の男性)の不倫相手であるとか、今は亡き妻を思う主人公の回想であるとか。

 そのような設定が本当にあるかは知るところではないが、確かにどことなく「せつなさ」が、金麦の広告からする。