「祭り上げられる」とは何か? ──ひとつの人間学的考察

 5日間の研修が終わり、同期と飲み会をした。
 同期は大体が大卒で、まぁ22歳というところだろう。
 一方、私は院卒で、しかも一浪一留をかましてしまっているので、今は26歳であり、同期より大体4つも上である。
 今回、飲み会で突如年齢の話題になり、その瞬間、

「…あ、これヤバイな…というかめんどくさいことになりそうやな…」

 と、直観した。

 そしてその直観はまさに当たった。(笑)

 飲み会に来た同期の中で、25歳というのは何人かいたのがややホッとしたのだが、やはり私が最年長だった。(笑)

 ゆえに、その点を同期の中での一番のムードメーカーにいじられ、彼が大声で、

「先輩っ! センパーイっ!!!!」

と叫ばれ、そこにいた同期全員からガン見された。
 つまり「祭り上げられ」たわけだ。

はたからみたら「痛い」状況であり、恥晒しを食らっているようなものだが、私としてはこれ以上「美味しい」瞬間はなかった。

 今日の朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一)に、関西で昔から言われている言い伝えとして、

「アホになれんやつがアホなんや」

 というのがある、と紹介されていたが、まさに私もそう思う。
 つまりこれは、恥をかいてしまっている状況をそのまま「恥」ととらえてしまっている人のことを「アホ」といい、恥をむしろ応用して、人と人との関係を潤滑なるものとするひとが、関西では「オモロいやつ」ということを意味しているらしい。
 私は「オモロいやつ」でありたい。
 そして、「使えるものは全て使っ」ていきたい。
 そうしていくことがまた、人間社会を平和たらしめる営為なのかも知れないと信じて。