「全部言ってあげないと分からないの? キミさ。」という上司からの叱責についての一考察

 今日という日は来週授業する箇所を研修者である上司に見てもらう日だった。
 私はその箇所の予習をしっかりして臨んだ「つもり」であったが、研修者の方にはぼろっぼろに言われてしまった。
 どう言われたかというと、

「君さ、全然予習してないでしょ。そんなんで僕ら研修者に見てもらうなんて、ハッキリ言って論外だよ。あのさ、先輩社員の人にその授業、一回でも見てもらった?」

 と。
 つまり、研修者の方が言わんとしていることは、ただ単にテキストとその説明の流れの把握だけでは全く「予習」とは言えず、板書練習、台詞の運び、どこでどう身振り手振りをするかとか、実際にどう「先生をやる」かまでやってきて当たり前でしょ、という事だった。
 この点について、私は完全に甘い認識をしていた。
 また、「教壇に立てばなんとかなる(する)」という、無根拠の自信(過信)が強すぎて、板書練習など、今回の箇所に関しては全くしてなかった。
「そこ」を、研修者の方に見抜かれてしまったのである。
 また、私のその失態が、直属の上司である課長に伝わり、後に電話でこっぴどく叱られたのである。

 「やることを全部こちらから言ってあげないとやらないの、キミ。ねぇ。あっ、そういえばさ、俺がこれ言うの2回目だよね? もう言わないからね。自分から動かないってことはさ、キミは自分を腐らせたいの?」

 返す言葉がなかった。
 私はただ謝るしかなかった。
 やれやれ。
 しかしこの叱責によって、自分が思ったより「指示待ち族」側だったことが発見できた。
 叱責を受けることは気持ちのいいことではないが、視点を今よりも広げられたこと、弱点を知れることができたので、それはそれは安い買い物である。
 いや、もはや買い物でもあるまい。
 我々は上司から叱責を受けている瞬間も、給料が発生している。

 上司から叱責を受けること、これは形而上学的にも(見落としていた「自分」の発見)、形而下的にも(現実的に、生きる糧となる「お金」が発生)それは『有難い』ことだと思った。