読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「好きだ」という想いと、「好きだ」という音声についての一考察

 好きな人がいる。
 そのひとに私は先ず一目惚れしてしまったのだが、そればかりか、話をしていてなんだか楽しく、またテンションや雰囲気が合う(ような気がする)ので、ますます彼女のことが好きになってしまった。
 そのような気持ちが、なぜだかうまく収まらず、今日、帰宅中の走らせるクルマの中、ついこう叫んだ。

「◯◯さんっ! 好きだーー!!!!!!!!」

 叫ぶと、なんだかスッキリしてちょっと落ち着いた。
 こういうことができるのはクルマを所有していることの「効用」とでも言えようか。狭い家ではまずできない。
 ただ、叫んだ刹那、妙な違和感に襲われた。

「…なんだか、「好きだ」という想いを口に出すと、途端にウソっぽくなる感があるな。。なんか自分があるドラマの主人公の台詞の真似をしているような。。。」

と。
 皆さんも叫んでみるとお分かりになるかもしれないが、私自身、なんだかえもいわれぬ違和感を、そこに抱いた。
 この瞬間、「もしかしたら「好きだ」という想いと「好きだ」という台詞は、まるで別物なのかもしれない」と思い知らされた感があった。
 また、本当に大事な想いというものは、まず言語化不可能なものなのではないか、と思われた。
 そういえば養老孟司氏が「大切なことは言葉にならない」という本を書いていた。
 読んだことはないが、その書物の存在は以前から知っており、なんとなく気になってすらいた。
 今になって養老孟司氏のこの題名の意味が理解できた感がある。



養老孟司の大言論III 大切なことは言葉にならない (新潮文庫)