罵倒と愛と、彼女と僕と

 見知らぬ人に罵倒された。
 僕ばかりか、彼女も、だ。

 それは深夜のファミレスでの出来事だった。

 僕は彼女とガラガラのファミレスで何気ない会話をしていたら、少し離れた席から、

「やかましいなおい!!!!!!!!」

 と、罵倒された。

 最初、何が起こったかよくわからなくて「???」だったが、我々が話を続けるとまた

「やかましいなおい!!!!!!!!」
 と言われたもんだから、我々への「メッセージ」であることは間違いなかった。

 僕はそのような状況に陥ったのは初めてだったけれど、とりあえずシカトを決め込んだ。

 ただ、彼女は罵倒するおじさんに対しては非常に敵意を感じており、聞こえるような声で「買い言葉」を発していたため、私はヒヤヒヤした。

 私はどちらかというと、売られた喧嘩は買わない方である。

 また、あまり怒りたくないほうでもある。

 思想家兼武道家の内田樹
 「『怒る』という身体・感情作用は、他のどんな作用よりも精神的に消耗するものであり、また何と言っても『安い』作用である」
 とTwitterでかつて語ったことがある。

 実際、私自身今までの経験からいうと、誰かに対して嫌味を言ったり怒ったりするとき、なんだかよくわからないが、脳内が「ぐにゃん」として急にめまいがおこり、気持ち悪い気分になる。

 つまり、怒ることは自分の身体かつ精神を消耗することになるゆえに、あまりしたくないのだ。

 もちろん、そのような自己保存のためばかりか、自己外、つまり他者と自己との紛争を激化させぬための一つの戦略でもある。

 売られた喧嘩を常に買うことは、必ずしも得策ではない。
 自己のプライドやその時の居心地を害されたことにへの異議申し立てとして「買う」ことは気持ちとしては分かる、すんごく分かる。

 しかし、罵倒してきた人が赤の他人であり、「そっちの関係者」だったりしたら、とても面倒なことになる。

 あるいは拳法の使い手であったりしたら、やはり勝ち目はない。

 ではどうするか?

 私はシカトを決め込んだが、今思い返してみると、ワーストではないにしても、ワースなソリューションではなかったか、と振り返る。

 ではベターなソリューションはなんだったのか?

 主に二つあるだろう。
  1.  店員さんという第三者(機関)を呼んで、注意させる。その後席を移動させてもらう→『直接対決』を避ける
  2. 通報する。→法治国家であることを利用し、国家権力でもって注意する。
 こんなところだろうか。
 同じことを起こらせないために、私の記事がいつか誰かのためになることを信じて上記するのである。

 ところで、今回のことで彼女はその後しばらく不機嫌であった。

 それは無闇に罵倒されたこともそうだったが、私のその時の対応が彼女にとっては好対応ではなかったからだ。

 また一つ「失敗」をした訳だ。

 ところで論語に、

「過ちて改めざる。これを過ちという」

 とある。
 今回ののことを一つの経験、勉強材料としてとらえ、次に同様のことがあったら、後々振り返ってみても「ベター」な
対応をしていきたい。

 それが彼女と僕(You&I)という小世界と、外部社会という大世界を安定保全(カオスになろうとするところをコスモスにとどめる人間的行為)させることではないかと思うのだ。