「彼氏」とは何か? 「付き合う」とはどういうことか?

 私にはお付き合いを始めて2ヶ月ほどの彼女がいる。

 まず、そもそもバッチリとタイプで、自然に(必然的に)一目惚れしてしまったのだが、その上、普通に話をしてみてもとても波長が合い、それになんといっても「居心地」がいいと感じる人だ。

 こんなこと書くと完全に「ノロケ」となってしまい恐縮千万であるが、ときどきこの事実に「こわさ」を覚える。

 それは独りの夜に感じる。

 なんだかうまく言葉にできず、自分でもよく分からないのだが、「すべては幻なんじゃないか?」と、妙に冷めきった感覚に襲われることがある。

 まさに今日はたまたま独りの夜なのだったが、そこでふと「彼女」について考えてみたら、

「…あれ、僕は本当にあの子と『付き合って』いるのか…? 全部気のせいなんじゃないか?」

と、思ってしまい、変な不安感におそわれた

 これは付き合いたての頃からズーーーーッと感じる不安感である。

 そして私は週に2回ほど彼女と会うのだが、会う度に妙に緊張して顔も直視できず、会話もしどろもどろになり、全くハキハキ堂々と喋れない。

 「は?」

 と、お思いの方もいるかもしれないが、本当にそうなのである。

 ただ、それが「辛い」とか「嫌だ」というわけでは全くない。


「初心忘るべからず」

という言葉がある。

 私はこれが大好きで、座右の銘の一つでもあるのだが、彼女に対して常々このマインドでいるから緊張する、というわけではない。この緊張の原因ばかりは正直よく分からない。

 今考えてふと分かったが、彼女が自分にとってあまりにも「完璧」すぎて、その彼女にとって私が「彼氏」としての役割を全うできているか、という点がどうも怪しいからではないかと思った。

 私にとって彼女は「完璧」だが、彼女にとって私は全く完璧ではない(むしろおそろしく仕事ができない男である(←飽くまで「今はまだ」だが))。

 つまり、そもそもの始めから私は彼女に「遅れて」いるのだ。

 言い換えると彼女と私の関係は片務的であり、非対称的である。

「…いや、もう付き合ってるんだからさ、んなこたぁないやろ!!」

 と、またお思いになるかもしれない。

 ただ、これは私自身の個人的な信念なのだが、「彼氏」とは、「彼女」に対して常に何らかのもの───それは外形可能、計量可能なものでは決してない───を「負って」いて、そしてそれに応える、応え続ける人のことを指すのではないか、と思う。

 つまり、私の個人的な思いとしては、

「とにかく淋しいから彼女が欲しい(つくりたい)」

という思想を私は忌避する。

「彼女をつくる」ということは、「その彼女の彼氏になる」ということなのだが、その事実、責任が欠落し、ただ「彼女がほしい」と思う人が少なくない気がする。

 よって、「彼女がほしい」ではなく、「『あの子』が欲しい。『あの子』の彼氏にふさわしい男になりたい」という、即物的俗物根性論から唯一無二的責任論へと跳躍する必要が我々にはあるのではないだろうか。



(…相変わらず何を言っているのか分からないBlogだな。。。(笑) でも、『書きたいことを思いつくままに書く』ということはとても「いい」ことだと思えてならないのです。)