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「待つ」とは何か? ──期待と絶望についての一考察──

 例えば、意中の人と待ち合わせをして、自分がその場所に早く来た場合、当然だが彼彼女を待たなければならない。

 そのとき、最初はドギマギして、

「は、はやく来すぎてしまったな。。テンション上がりすぎた。。。」

 などとソワソワしてしようがない気持ちになるのはたやすく同意いただけると思う。

 そして定刻になる頃にはもう期待感が半端ないはずだ。

 「あぁ。。どうしよう。。。なんか逆にこの場を逃げ去りたくなってきた。。。」

 といった感情に襲われることだろう。

 しかし、彼彼女が定刻に現れないとする。
 5分、10分、15分とたっても現れる気配がない。
 連絡も来ない。
 こちらから連絡しても全く返答がない(という設定とする)。

 さて、この時の感情は容易に想像できるだろう。
 そう、絶望である。
 絶望とは言いすぎかもしれないが、大いなる不安感であろう。

「え…、なんかあったのかな。。もしや僕(私)のことなんてどーでもよくなったのかな。。。。あー、なんかムカムカしてきた…! ムカムカだけじゃなく、なんか虚しくもなってきた。。。あーあ。。」

 といったところではないだろうか。
 そうでなくても、ただただ心配で、ひたすらソワソワとしたりと、平常心を失うこととなるだろう。

 以上の考察より、「待つ」という行為は、定刻の前後で彼彼女、つまり「他者」に対する感情が一変する営為だということがわかる。
 
 もし「待つ」ことで感情に変化がなければ、その他者は自己にとってどうでもいい存在だと分かる。

「待つ」ということ。
 これは人間が人間を人間的に「実験」することとも言えるのではないだろうか。