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「好き」とは何か? ──レヴィナスの他者論を参考に──

 アクアタイムズの『千の夜を越えて』において、

 「好きな人に好きって伝える それはこの世界で一番素敵なことさ」

 という歌詞がある。

 谷川俊太郎は『谷川俊太郎 質問箱』において、

「誰かが誰かを好きになるということは、生きていく上で一番大切なことだから」

 と語っている。

 なぜか。

 「好き」という感情は、かれこれ物心ついた時からそれ内存在しているのだが、それが一体本質的に「何」なのかは今だによく分からなかった。

 しかし、最近になってなんとなくうすうすとでも分かってきたような気がする。

 「好き」とは、本質的なところ、「他者のために」(pour autre ) ではないだろうか。

 「他者のために」というのは、仏哲学者であるエマニュエル・レヴィナス(1906〜1995)の術語である。

 「他者のために」を志向した先に、主体(自己)は他者の「身代わり」(substitution) となるも、そうなることで初めて(寧ろそうなるからこそ)、主体の唯一性、かけがえの無さは確保できる、とレヴィナスは語っている。

 私アルテマは大学院でズーッとレヴィナスを読んできたが、上記したレヴィナスの理路がどうしても分からなかった。

 しかし、大学院を出て社会人となり、その過程で好きな人ができ、彼女と語らう中で、レヴィナスの言わんとしていることがなんとなくわかってきたような気がしてきたのだ。

 彼女と顔を付き合わせ、目を見つめ、「好きだ」といったとき、私は自己の存在を忘却し、完全に彼女しか見えなかった。なんというか、そこに自分はいなかったかのような感がした。

 「守りたい」とか「助けたい」という感情とはまた違う何かである。

 完全に彼女の一部的な何かに、その瞬間なった感があった。

 つまり、自己が他者化(或いは他者が自己化)し、相互浸透(penetration mutuelle) した瞬間だったのかもしれない。

 そしてそれは同時に彼女という名の他者(他者としての彼女)の身代わりになった瞬間だったのかもしれない。


 「君とならいつまでも、どこまでも」と思える人。

 そんな人に出会えたことでとうとう、レヴィナス倫理学を「理解」できたのかな、と思う。