反復せざるを得ないものの正体とは何か?

「…なんかこの曲、何度聴いても飽きないな…」

 という経験はないだろうか。

 曲に限らず、本でもいいし、お菓子でもいい。
 或いは人でももちろん構わない。

 とにかく、なんだかよくわからないけれど、「それ(その人)」を繰り返し体験(曲だったら「聴く」、本だったら「読む」、お菓子だったら「食べる」、人だったら「会う」)してもしてもまったく飽きない、という経験をしたことはないだろうか。

 自分でもこの「反復せざるを得ないもの」については今までその存在意味意義がよく分からなかったが、最近なんとなく分かってきた。

 おそらくそれは自分の人生において、とても言葉では表せないくらい、破格なまでに重要肝要な事柄ではないだろうか。
 
 例えば私にとってそれらは
 である。

 皆さんもなにか「反復せざるを得ないもの」があるかと思う。
 「趣味がない」「将来の夢がない」と思っている人は、今一度「自分は日々何を無意識的に反復しているか」、或いは「何に無意識的に時間をかけているか?」と思い返してみれば、そこに未来があるのではないか、と思う。

 つまり、「反復せざるを得ないもの」とは、「自分の未来を暗示するもの」ではないだろうか。

 すべてのプロフェッショナルは、「それ」を反復したからこそプロフェッショナルになったのだと思う。

 しかし、ただ反復したのではなく、『愉しんで』『没頭して』『我を忘れて』反復「してしまった」からこそ、プロ中のプロ、つまり『プロフェッショナル』となったのではないだろうか。

 だからこそ、「反復せざるを得ないもの」が、人生において重要肝要なではないか、と思えてならないのだ。