なんだかイライラ、むかむかする。 ──『書く』とは、副作用なき精神安定剤である──

 昨日ちょっと社で「色々」あって、また他でも「色々」あって、それでもともとあんまり読書時間が取れてないこと(←自分にとって至高の時の一つ)もあいまって、今、とてもなんだかイライラ、むかむかする。

 ミスチル桜井和寿氏は、名曲、「Alive」の冒頭で、

"この感情はなんだろう

 無性に腹たつんだよ

自分を押し殺したはずなのに

バカげた仕事を終え

環状線で家路を

辿るクルマの中で

「全部放りたい」

「寝転んでたい」

そうボヤきながら

今日がゆっくりすぎる"

と、歌っているが、まさにそんな気分だ。

 普段、私は殆どイライラすることはなく、精神は恒常的であるのだが、『これほどまでに』イライラ、むかむかするのは、なんだかこれは身体からの(或いは霊的な?)シグナルなのかもしれない。

 ある時を境に、私は「人に対して怒る(キレる)」ことをしなくなった。

 ある時、ある人に対して怒り、嫌味なことを言おうとした時、頭の中の神経が

「グニャン!」

と、ひん曲がったような感がし、また絶望的なまでに胃が

「グサッ!」

とくる感がし、それ以来、一つの生き方、作法、或いは戦略として、「人にキレない」ことを徹底的に心がけてきて、またほぼ100%相手に非がある場合でも、自分が責任をとって、

「これはオレが悪かった、ゴメン」

と、率先して謝ることを心がけてきた。

 しかし、ここにきて、どうもその生き方が、今の自分と比して「スケールの大きい」ものかもしれない、と、振り返って思う。

 この生き方は、私が尊敬する西郷隆盛の、

"人を相手にせず、天を相手にして、

己を尽くして人を咎めず。

 我が誠のたらざるを尋ねるべし"

という遺訓に依っている。

 この承句は、院生時代にレヴィナスの責任論を学んでいた際に出会い、あまりにも感動したため、座右の銘とした。

 それから2年近く経った。

 今でも「他者に責任をなすりつけず、自己が率先して『取りに』いく」ことはこころがけているところであるが、ここにきてそれが身も心も負担になりつつある感がある。

 西郷の「器」と、私の「器」を同一視したのが、いうなれば「アホ」だったのかもしれない。

 やれやれ、ふぅ。これは一つの挫折である。

 ただ、これで終わるアルテマ(このblogの筆者)ではない。

 基本的に私はかなり楽観主義で、自分が大好きである。

 上司から叱責を受けても、「なにくそ!」と思い、精神はほぼ動じなくなった。

 これは、社会人になる前に比べたら、間違いなく「胆力」がついた、といえよう。

 しかし、周囲の他者たちの、大して衝撃的でもない対応が積み重なった程度で「イライラ」「むかむか」するのは、まだまだ自分は「小粒」であり、「器の小さい」男だなぁ……と、思わざるを得ない。

 それでも、私は人生に大きな期待をしているし、絶対にこれからもっともっと「楽しく」なる、と、心の底から信じている。

 思想家兼武道家の内田樹氏は、

「生きるということは、流れる時間の中を生きる、ということである」

と語った。

 確かに私の今日の「この一点」だけを見れば「不遇」或いは「不幸」といえようが、流れる時間の中ではあまりにも瑣末なものであるに違いない。

 …blogを書いているうちに、イライラやむかむかが、ある程度であるが、治ってきた感がある。


「『書く』とは何か?」

を生涯の主題としたが、思うに、『書く』とは、副作用のない精神安定剤となりうるのではないか、と思われた。

 とりあえずしかし、「イライラ」「むかむか」したら、早く寝るに限ると思うので、もう寝ます。

 おやすみ the world.


(…最近、「blogを書くのは面倒だなぁ」と、少しばかり思っていたけど、やっぱり「書く」ことで気持ちが整理されたりするから、これからも書き続けたいなぁ、と思いました。(^_^)