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「あぁ、嫌だ嫌だ…!」という感情との折り合いのつけ方についての一考察

昨日ほど会社を嫌だ、と思ったことはない。

なにがあったのか。

結論から、端的に言うと、上司によって新人と同期(その上その人は私の彼女である)がいる前で
公開処刑」を受けたからだ。

 これにはこたえた。

去年の今ころもやはり上司に「公開処刑」をうけていたが、今回は質的に辛さが
格段に上だ。

 きつい。

しかも、指摘されたことが、新人時代に指摘されるような初歩的なものであるうえ、
また自分の身体的な性質上直しにくいものであったため、つらかった。

 あー、いやだいやだいやだ、、、、、、、、。

こんなまでに自分がネガティブな感情に支配されてしまっている事実にも嫌気がさす。

自分史上もっと自分らしくない感がある。

また、上記のこともあるが、それ以外のところでそれなりにストレスを感じていたのだろうか、
歯軋りも最近あり、疲れもあまりなかなかとれないのだ。

………。

これが、『大人』か。

私の大好きなmoumoonの「dear my girl」にこんな歌詞があったことを思い出した。

『大人という 厳しさに 君は慣れたかな  泣いて つらくて さびしいことはあるかな」

これである。

まさにこの言葉が突き刺さる。

それにしても、ここ最近ほど「仕事を辞めたい」と思ったことはない。

今までもうっすらと思っていたが、「ああいうこと」をやられると、仕事に対するやる気が全く出てこなくなる。

また、上司、上長が部下に対して「偉そうに」、説教をするのも、やる気、士気が下がる。

様々な仕事関連の本を読んできて薄々とわかっていたが、実際に従業員の立場になると、それを痛いほど思い知らされた。

痛いほど。

自分自身が将来もし偉い立場になったとしたら、絶対に偉そうにしたくない、と、心に誓った。

そして、当然「公開処刑」なんかしたくはない。

やれやれ。


ともあれ、今回のことで、会社との関係性についてより深く考える機会を得た。

入社する前から思っていたが、やはりここは、というか会社は一生籍を置く場所ではないな、と感じた。

 このままだダメだ。

そう、直感的に思う。

会社に利用されるのでなく、会社を利用していくくらいの気概を持とう。

 あと何年ここにいるか。

それまでに自分自身にどんな付加価値をつけるか。

一番の安定は、いい会社にいることではなく、付加価値がつくことで業界を超えて求められる「自分」になることだと思うのだ。

佐山展生氏は、「『この野郎』と、何回思えるかが成長の鍵」と言っているし、

三島由紀夫も、「なにくそ、なにくそ!  これが男の子の世界の最高原理であり、英雄たるべき試練です。」と言っている。

 ブログを書き始める前は、本当にうなだれていたが、書きながら、やや回復してきた。

 また、関連して賢人2人(正確には3人)の言葉が思い出されてきた。

齋藤孝氏が「私塾のススメ」で語っていたこと。

たしかこんなような内容だった。

「私は落ち込んだ時、いつも司馬遷のことを想うんです。司馬遷は自分の友人が
冤罪にかけられて、彼をかばっただけで、とんでもない拷問に処せられたんです。
その歴史的事実を考えると、自分が落ち込んでたことがいかにちっぽけか、とおもえてきて、
また、「こんなことで落ち込んでたら、司馬遷に申し訳ないな。」と思うんです。

この一文を読んだとき、震えた。

また、大前研一氏が、テレ東の「ガラポン2000」で語っていたこと。

「私は都知事選に出て、青島幸男にぼろ負けしました。それでみんなからバカだバカだと言われ、本当にあなたはダメですね、といわれた。いい気持ちだよ。」

この思考の転換にも敬服せざるをえないほど震えるものがあった。


され、このブログで不満を色々書いてきたが、やはり自分自身を救ってくれるのは、自分が信じた人たちの言葉や経験だな、と振り返って思う。

ゲーテも言っていたが、

「ひとは、自分が愛するものからのみ学び得る。」

ということだ。

師は、現れるものではない。

師は、自分から見つけに行くものだ。

学びは能動的であるときのみ、有効なのではないだろうか。