アタマとカラダについての一考察

風立ちぬ [DVD]

 

 

 

あまり寝れず、早くに目覚めたので、昨晩途中まで見た「風立ちぬ」の続きを見た。

 

美しい映画だ。

 

主人公の堀越二郎はとても「凛」としていて、ロールモデルとしたいとすら思うほど、全体を通して強く惹きつけられる映画だった。

 

また、物語の終盤、堀越二郎が婚約者の死を悟る場面を見て、

「言葉で語らず、絵で語る。」

という点が、宮崎映画を通して共通している、と感づいた。

 

この「風立ちぬ」にあまりにも感動してしまったため、なかなかベットから起き上がることができない。

 

今日は09:30から資格予備校だったのだが、ひとまず行かないことにした。

 

アタマでは「行かねば。」と思っているが、カラダが「休まねば。」と主張しているかのごとく、カラダか重いのだ。

 

病気だからというのもあるであろうが、「風立ちぬ」に感動してしまったこともあるだろう。

 

読書家の成毛眞が小説を読まない理由として、「感動しすぎるから。」と語っていたのを思い出される。

ノルウェイの森」を読んだ時は、1時間くらい椅子から立ちあがれなかったし、

海辺のカフカ」を読んだ時は、5日くらい会社に行くことができなかった。

と言っているくらいだ。

 

誇張もあるかもしれないが、それほど「作品」というものは人を動かすものなのだろう。