目から耳へ

マンガ塙保己一―目で聞き、耳で読んだ

 

最近、特に左目の乱視の酷さが増してきたようで、左目の奥、つまり頭に痛みを催し、そればかりか、左肩筋にまで痛みを催す感じになってきた。

 

なので、モノを見るときは必ず眼鏡をかけるようになった。

昨日寝しなに本を読んだ時に、うっかりメガネなしで裸眼で本を読んだら、すぐ左眼のおく辺りが痛くなって、すぐ寝た。

やれやれ。

そして今日は朝起きたら、左ばかりか、頭全体も痛くなってたので、また眠ることとした。

やれやれ。

ただしかし、「何かインプットしたい! 情報、知識が欲しい! そしてそれを加工して発信したい!」という思いは強く強くある。

あるのであるが、普通、情報や知識をゲットする、となると、目を使う。

頭痛がひどいとき、目も開けてられないので、目からの情報・知識習得は不可能だ。

なので、耳だ。

私は今後更に目が悪くなる気がする(勉強好きやし、本読むの好きやし、映画見るの好きだから)ので、何か対策を打たねば………

と、思い、耳を使おう、と。

手始めに、今日は横になりながら大前研一さんや内田樹師匠の講演を聞いた。

これもいいのだけれど、今までで50回くらい聞いてきたから、別なものを聞こう。

そうだなぁ…、簿記のDVDを買って流したり、Audibleに登録して、耳で本を読むのもいいかもしれない。

………何だか塙保己一や、ヘレンケラーにでもなった気分だ。

 

塙保己一は江戸時代の盲目の学者で、当時、盲目の人は琵琶を必ず習わなければならなかった。

 

しかし保己一はサッパリ上達せず、人生に悲観し、今の皇居の外堀を見ながらトボトボ歩いていたら、以下のような言葉が頭によぎった。

 

いのちのかぎりにはげみなば などてことのなさざらんや

 

一生懸命やれば、どうしてそれが達成しないことなどあろうか、いや達成する。という意味のようだ。

 

これで、保己一はもともと好きな読書(保己一の場合、本を読んでもらって覚える)を徹底しておこない、「群書類従」を書き、天下に名の知られる大学者となった。

 

 

塙保己一の紹介になってしまった。

 

ともあれ、モノを学ぶ上では「使えるものは全て使う」(ブリコラージュ)べきだよなぁ、と思う。

 

 

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)