伊藤若冲の言葉 ───ひとつの才能論

【春秋】「動植綵絵(さいえ)」はさまざまな鳥や魚、植物を緻密な写生と大胆な色彩で描いた日本画だ。計30幅からなる。江戸時代の画家...:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO20703220T00C17A9MM8000/

 

 「自分の絵をわかる人を千年待つ」。

 若冲はそういっている

 マーラーも同じようなことを言っていた。

 「私の音楽は100年後に理解されるだろう。

 

 芸術家の残す作品というのは、時代を超えて理解されるもので、逆に言うとそのときその時代では理解されることがない可能性が十分に高い、というハイリスクを背負っている。

 しかし、時代を超えて理解される、歓迎される作品を残すことに成功した芸術家は、その後自分の名は永遠に残り、多くの人の人生を動かすことになるだろう。

 それは例えば石ノ森章太郎がベートーベンを心から尊敬し、ベートーベンのデスマスクを、トキワ荘の自室の柱に飾っていたと、このマンガが証明している。

 かれはこう語る。

 「この人(ベートーベン)は、すんごい才能があったのに、もんのすごい努力家だったから、尊敬しているんだ。

 才能。

 才能という点では、ベートーベンが弟子入りした モーツァルトの方が才能は有った。

 彼はクッキーでも食べながらひょいひょいと作曲したり、トイレから出てきたかと思えば、トイレの紙にささっと書いて作曲してしまうくらい、音楽の神ミューズは、彼に微笑んだ。(以下のマンガ参照)

 そんなモーツァルトはしかし、努力というものは特にせず、インスピレーションが切れたら、曲が間近に完成、というところでも止めてしまっていたそうだ。

 そういったところをベートーベンは見抜いていた。

 才能がいくら有ったところで、それを更に補強しないことには、その世界で生きていけないのかもしれない。

 松本人志は自著「遺書」において、このようなことを語っていた。 

 「オレはお笑いの才能がある。それでいて、誰よりも努力しているのだから、負けるはずがない。」

 

 才能があり、それを自覚するだけではダメで、それを磨き続けることが、花を咲かせることになるのだと分かる。