ラカンを読む

 

 先週水曜日の朝に、急に左腕に力が入らなくなり、病院に行ったら特に異常はなく、おそらくストレスからきてるのではないかな…と医者に言われたので、それから急に心理学に興味を持つようになった。

 

 いや、正確には「再び興味を持たざるを得なくなった」が正しいかな。

 

 もともと、高校時代から心理学には興味があって、大学時代もよく心理学関連の本を読んでいた。

 

 そこから内田樹先生の本に出会い、またそこからラカンに出会うこととなった。

 

 ラカン

 

 フロイトの弟子であり、「自分がフロイトの理論を1番よくわかっている!」と豪語して止まなかった精神分析学者だ。

 

 なんでラカンに惹かれたかというと、内田樹先生がある書物でラカンの理論?話?を紹介していたところで「ぐっ!」と引き寄せられたのだ。

 

 それは「教える者」についての話だ。

 

 確かこんなような話だった。

 

ラカン「人は、教壇のこちら側に立っているだけで、充分に教師たりえるのです。教壇に立っていて、その人が何を語ったとしても、あるいは何も語らず、沈黙していたとしても、教壇のこちら側に立っているだけで、教師としての役割は果たしているのです。」

 

 これを読んだとき、心から湧き出るような感動を覚えた。

 

 要するに先生というのは、何を教えるかというよりかは、「教えたい」という思いがあるだけで教師になれるし、またそのポジションにつけば、その人がどんな能力を持っていようがいまいが、「そのポジションたりえる人」としての効果を、周囲に発揮するということだと。

 

 これを自己啓発的な解釈をすると、「能力以前に、まずはそのポジションにつけば、自然と能力はおっついてくるから、まずはやってみよう!」ということではないだろうか。

 

 僕は以上のように解釈したので、とてもとても励まされる思いがした。

 

 他にも心理学者、精神分析学者としてはフロイトユングアドラーなどがいるけれど、このラカンの一理論でもって、僕はラカンを読みたいと強く渇望するに至った。

 

 と、いうわけで、これを読んでる。