10人の賢人への相談 ───「回答」とは何か?

 何か困ったことがあったとき、LINEで友人に相談する。

 

 人数は変わることがあるけれど、大方10人くらいの友人に相談内容を送って「教え」を請う。

 

 普段は友人だけど、何か困ったときは、僕は彼彼女らを「賢人」「賢者」と呼ぶ。というか呼びたい。

 

 ただ、彼彼女らには大変失礼だが、「…はい?」と思うような回答をもらったり、そもそも全くシカトされることもあるから、はたから見たら「え、別に賢者ちゃうでしょ」「というかそんなやつ友達と言えるのか?」と思われるかもしれない。

 でも、それでもいいのだ。

 私アルテマが「相談したい!」と思うような相手である時点で「賢人」「賢者」だから、周りが何と言おうとそんなことは関係ないのだ。

 

 今回は自分が今直面している労働問題について10人の賢人に相談して、「これは!」という回答、つまり心から納得した回答を得られたのはただ一人だった。

 

 だからと言って他の9人への相談が意味なかった訳ではもちろんない。

 

 当たり前だが、彼彼女らは部外者であるから、回答が基本的に他人事になる。

 

 ちょっと冷たいなぁとは思ったりもするけど、まぁ所詮他人だからなぁ、と思い返す。

 

 ただ今回、「これは!」と思う回答をしてくれた友人は、他人事ではなくて当事者意識を持ってくれ、かつ長文で返してくれた。

 

 必ずしも、短い回答が悪く、長い回答がいいという訳ではもちろんない。

 

 けれど、そこには「自分のために時間を割いて、立場を想って考えてくれて回答してくれた」という、メタ・メッセージが込められてるため、レヴィナス(…いきなり飛びましたけど、フランスの哲学者です。)でいうところの『他者のために』(Pour les autres)が、ひしひしと感じられる。

 

 そのため、この友人には「ありがたい」と思うと同時に、1つなにか畏敬に近い思いを抱く。

 

 そういう友人を見習わなければ。