記号的なものと霊的なものについての一考察

 

 最近つくづく思う。

 

 金(カネ)を基準で物事判断すると、ロクなことがない。

 

 と。

 

 実体験として、僕の今の勤務先は給料で選んだ。

 

 いや、あんまり正確じゃないか。

 

 他にも仕事内容とか待遇面でいいなと思ったんだけれど、総じてお金基準だったと思う。

 

 んで、入社してみると、やはりというか、みんなお金大好きだ。

 

 金融機関だから当たり前なのかもしれないけれど、なんか社風がどうも気に食わない感じが、した。

 

 それはものすごくトップダウンであり、上司の言うことは絶対で、かつ上から目線で話す人が多いからだ。

 

 それが「悪い」とは僕は思わない。

 

 ただ、前いた教育業界とは全然違うなぁ〜とは思わずにはいられなかった。

 

 そして、その社風がどうも合わないなぁ…とも、最近つくづく思う。

 

 ウォーレン・バフェットが確かこんなことを言っていた。

 

配当金が高いからとか、値上がりする見込みがあるからと言ったような理由で株に投資することは、結婚相手をお金で選んでいるようなものだ。

 

 この名言は、森羅万象に当てはまることかもしれない。

 

 お金、つまり記号的なものや数値的なものの判断というのは全てアタマでやっている。

 でも、仕事にしても結婚相手にしても、アタマだけでなく身体も当然必要としていくわけだ。

 アタマと身体は違う。

 アタマがOKでも、身体が受け付けないということがあるだろう。

 それは、アタマでは決して理解できないような、

なんか、なんとなくこれ好きなんだよね

とか、

 「なんか、分かんないけどすごく嫌な感じがする

 とか、理屈では説明できようのないものが、身体には「分かる」のだ。

 

 内田樹が以前、六本木ヒルズ回転ドアの事故が頻発したことについて、

 

あそこのエリアには神社がない。人々が住む地域には神社や寺院、道祖神など、霊的なスポットがなければならない。だから事故が起こったのだ。

 

 というようなことを語っていた。

 

 別に内田樹はなんらかの新興宗教を信じてはいないし(強いていうならユダヤ教に詳しい)、私アルテマもそうだ。

 

 ただ、アタマでは分からないこと、人智では及びもしないことというのが、世の中には存在するし、起こりうる。

 

 それらを鎮めるために、霊的なスポットが存在している。

 

 私は内田樹を大変尊敬しているからこそかもしれないが、記号的な価値観だけを重視すると、このような回転ドア事件が再び起こりかねないと思っている。

 

 また、個々人の人生にも、あまり良くない影響が及びうるのではないかと。

 

 だからこそ、お金を始めとした、記号的な価値観を第一にして物事を判断しないように、今後も気をつけたい。

 

 

参考までに↓

3月26日 六本木ヒルズ自動回転ドアの死亡事故から14年(山中龍宏) - 個人 - Yahoo!ニュース