絶望的不安感と夜のドライブ ───「考えない」とは何か?

 

 なんだかもう、ここ1年くらいで1番、将来について不安感を感じている。

 

 そういう時は前だったらランニングしたりして汗をかくことで解消されたのだけれど(精神安定剤は全く意味ない)、相変わらず左半身、特に左手が力が入らないので、運動はできない。

 

 僕にとってこの「運動ができない」のは、拷問に等しい。

 

 だからこそ、そのせいで精神的にもくるところがあり、その時は内田樹先生の本を読むであるとか、ジブリの映画を見るとか ───ジブリには随分癒された───している。

 

 ただ、それらも根本的解決にならないため、不安感は募る。

 

 そんな感じで悶々としながらも内田樹平川克美両氏の本を読んでいたら、なぜか夜のドライブに行きたくなった。

 

 「夜のドライブはいいぜ」といったような記述があった訳ではない。

 

 お互いの愛車としてのバイクの話が書かれていて、ふと自分のクルマを運転したくなったのだ。

 

 …いや、それは少し嘘だ。

 

 正確には、左手が調子悪すぎて、ここ1ヶ月ほどマイカーを全く運転できていなかったので、ちゃんと動くか急に心配になったからだ。

 

 という訳で、僕は書を捨て、マイカーに乗って夜のドライブに行った。

 

 深夜ラジオとしてやまだひさしのラジアンリミテッドを聴きながら、かれこれ50分ほどドライブをした。

 

 まだ左手は全然あかんので、完全に右手だけの運転だったけれど、夜のドライブ、えがったなぁ。。。。。。

 

 ラジオが面白く、それに笑ったり自然とツッコミを入れたりしてしまい、バーチャル的なコミュニケーションができたことも良かったかもしれないが、何も考えず、ぼけぇ〜っとドライブすることが、かえって精神的に良かったのかもしれない。

 

 つまり、考えすぎていたから精神が追い込まれてしまうのであって、考えないで、言わば座禅的に無の境地に入ることができれば、それが実は最高の癒しなのかもしれないなと。

 

 何も考えないことで、かえって悩みが解消されていく。

 

 これは、体感して初めてわかった。

 

 ここ10年くらいなんだか座禅ブームというか、「考えない練習」といったような本も出版されているけれど、ようやくそれらが余りにも重要だと分かった。

 

 これは、論理的に数値的に説明できるものではない。

 

 「やれば、わかる」というものだ。

 

 考えないこと、もっともっとこの機会を増やしたいな。

 

 左半身が回復したら、ランニングクラブに入って、また1500mを再開したい。

 いや、800mもいいかも。

 駒沢オリンピック公園のトラックと、今は改装中の国立競技場のトラックでのあの快感、忘れられない。

 

 なんか僕の20代は転びまくりだけど、転ぶたびに起き上がっていきたい。

 

 夢があるから。