「…名古屋の子って、虫が苦手な子が多いな〜。。」
と。
ちなみに私は大学、大学院時代、東京にずっといたが、やはり東京の人も虫が苦手な人が多かった。
「特に害があるわけでもないのに、なんでそんなにビビるのかなぁ。。」
と、思えてならない。
翻って、なぜ私は虫が得意か?
少年時代、よく虫取りをしていて(私は東北出身者である)、また両親にしばしば、なんたら自然公園に連れてってもらい、蝉やカブトムシ、クワガタ、オニヤンマなどを取って標本にした記憶(原体験)があるからだと思う。
言い換えると、私は大自然に対してフレンドリネス(親和的感性)があると自負している。
一方、虫が苦手な人というのは、虫取り的な、『少年時代』的原体験を悲しいかな、経験してないがために、大自然に対してアンフレンドリネス(非-親和的感性)な態度を貫いてしまう。
いくらテクノロジーが進んだところで、私どもは大自然との縁は切れない。
切ることができた時、私どもはアンドロイドにならなければならない。
アンドロイド。
それは非-時間である。
非-時間。
そこにはだだ一つ、『愛』がない。
私はアンドロイドになりたくない。
『愛』を「証明」したいから。また、「体験」したいから。
だからこそ、私は大自然に対してこれからもフレンドリネスな態度を貫こうと思うのだ。