それは、ジョカノにお弁当を作ってもらったことだ。
(ジョカノ、とは彼女のことです。「彼女」というと、なんだかどうも照れくさいので、「ジョカノ」と言っています。)
お弁当の中身は生姜焼き、きんぴらごぼう、ほうれん草の胡麻和え、そして蒟蒻畑だった。
生姜焼き以外は出来合いのものだったのだが、それにしても美味しかった。とても、とっても。
それにしても、ジョカノからお弁当を作ってもらう日が来るとは…。
なんとも、感慨深い。
昨年、一昨年の、あまりに孤独も孤独であった日々とはまるで別なる世界に生きているかのようだ。
それはしかし、他者に流されてここにきたわけではなく、自分から求めて、強く求めて、努力して、またちょっと(いや、かなり)運が良くて、『こう』なった訳である(と思う)。
つまり、「未来は変えられる」、と確信したのが、昨日だった。
表現を変えると、「思考は現実化する」(ナポレオン・ヒル)だな、と、思わずにはいられなかった。
実際、数年前から、
「将来、彼女かできたら手作り弁当を作ってもらいたいな〜…………」
と、うっすらとであるが思い続けていたから、それがとうとう現実化したのかな、と振り返る。
自己啓発的なことを申し上げるけれども、人間はあることを強く強く、そしてずーっと思い続ければ、それは叶い達成されるのではないか、と、思わされた昨日であった。
思うことと実行(現実化)することには千里の径庭があるが、
思いの質、そしてその量次第で身体の活動性が高まり、精神は安定し、そこで運が味方し、実行(現実化)するに至るのだろうか……。
そんなことを思った3.11であった。